今では立ち入り禁止となっている廃墟
十三層遺址は1933年に日本人によって建てられた鉱山工場です。最盛期には工員が7000人ほどいたそうですが、1985年に製錬所は閉鎖され廃墟となりました。第二次世界大戦により日本が敗戦し台湾から撤退するまで日本によって管理されていました。昔は段々に13層あったのですがほとんどが倒壊し今は最上部の建物のみ残っています。工場もそのまま放置されてしまったため今でも土壌汚染や有害物質が進んでおり立ち入り禁止となっています。が、地元の方と一緒に入ってきました。
廃墟までの行き方
今回は九份からタクシーで行きました。山道を15分ほど乗って250元でした。ちょっと割高ですが九份は日本人にとって超有名な観光名所なのでタクシードライバーは強気です。300元から値切っても250元でした。台北や九份からもバスは出ているみたいですが僕が行った時間は夜の10時ころ。すでにバスは動いてませんでした。たぶん九份からでも歩いて1時間ほどでいけるはずです。その日は廃墟近くのゲストハウスに宿泊の予約をしていたため夜遅く行きました。(ほんとは九份で食べたり飲んだり散策してたら遅くなってしまった)
詳しくは基隆汽車客運をご覧ください。
廃墟の中に進入
廃墟にはゲストハウスのオーナーが案内してくれました。彼はこの町に生まれ育ってきたそうです。この廃墟の近くにある小学校に昔は数千人ほどの生徒が居たそうなのですが、今では全校生徒が6人まで減ってしまったそうです。いろいろ話を聞いているうちに到着しました。入り口にはフェンスと立ち入り禁止と書かれた看板がありました。が、フェンスは人が入れるほどの穴が開いており、そこからオーナーと入っていきました。さっそくスプレーでの落書きが壁一面に書かれていました。進んでいくと廃墟らしくなっていき片付けられず、そのまま放置された木材などが沢山落ちていました。しかもその木は日本から持ってきたヒノキだそうです。何に使っていたのかよく分かりませんが浴槽や炊事場の跡形もありました。
もう少し上へ上がっていくとおしゃれな窓枠を発見しました。
そしてその先に進んでいくと絶景がありました!
陰陽海を一望することができました。この陰陽海は鉱山の成分が海に流れ出て鉱山の茶色と海の青色で非常に珍しい光景となっています。
美しいけど危険もいっぱい
廃墟の中は危険もありました。
一見ペイントのように見える綺麗な壁もこれは有害物質が流れ変色してできた物だそうで、オーナーからも廃墟に入る前に絶対壁には触れないようにと言われました。有害だと分かりつつも見入ってしまうほど綺麗でした。
皆さんもこの十三層遺跡に来る際はぜひ入ってみてください。ただし自己責任ですし詳しい方と行かれることをお勧めします。アドベンチャー感覚で楽しめますよ。
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