パンゴンツォってどんなとこ?
マナリで自然を満喫した後はさらに奥地にある塩湖の秘境”パンゴンツォ”を目指すことにしました。
このパンゴンツォはなんと世界一標高の高い所にある塩湖として有名なのですが、なんと言っても行く為に長時間の移動や高山病のリスクがあったりと皆がみんな行けるわけでないので軽く秘境扱いとなっています。
ちなみにパンゴンツォの標高は約4,300メートルですが、そこに行くまでに何度か5,000メートル級の峠をバスで超えていかなければいけません。
パンゴンツォに行くためには最終的に陸路しかなく、バスやミニバンで行くことになります。
レーまでは飛行機でも行けますがそこからは、陸路一択となります。
ほとんどの人はレーからパンゴンツォまでミニバンをチャーターして行きます。
片道約6時間と長いですがこの方法が安くて早いと思います。
もしマナリからレーまで全部バスで行くと一泊二日かかることになるのですが、陸路での移動中は絶景のオンパレードなので、長時間の移動であるものの飽きることはないでしょう。
バスルートは
バシスト→マナリ
マナリ→ケイロン(一泊)
ケイロン→レー
レー→パンゴンツォ
という流れになります。
一泊二日の旅スタート!
まずはバスに乗るため宿泊していたバシストからマナリへ向かいます。
バシストの大通りからヒッチハイクの様に拾ってもらう事もできるみたいなのですが、拾ってもらえない可能性が怖かったのでマナリのちゃんとしたバス停まで行きました。
移動はトゥクトゥクを使い100ルピーで行ってもらいました。
この日の目的地はケイロンという街で、ここで一泊する必要があります。
というのもマナリからレーまで直接行くローカルバスがなく、早朝5時にケイロンから出発するバスに乗らないとレーまで行けないのです。
ミニバンではマナリからレーまで直接行くことができます!
ローカルバスは9時マナリのバス停から出発するとの事でしたが、約一時間遅れで出発。
普通のローカルバスです。
ほぼ満席です。
ここから5時間かけてケイロンまで向かいます。
マナリからケイロンまでのバスはたったの175ルピーなので何の文句も言えないです!
座り心地は決して良くないんですけど、なんと言っても景色が素晴らしすぎて移動がそこまで苦にならないです。
結構くねくねした道が多いですがバス酔いする人はいませんでした。
途中、小休憩もあってバスから降りてタバコを吸ったりすることができます。
この辺も標高3,000メートルくらいなはずですが日差しが強いんであまり寒くないんです。
再び進み始めると、また違う景色が現れてきます。
滝も流れちゃったりしています。
もちろん途中でトイレ休憩や食料品も購入できます。
エメラルドグリーンカラーの変な湖もありました。
無事ケイロン到着!
約5時間後無事ケイロンに到着しました。
バススタンドの目の前にもいくつかホステルがあったのでその辺で予約することにしました。
というのも明日の朝5時に出発しないといけないので、バススタンドの近くに泊まることにしました。
宿はドミトリーでしたが200弱ルピーで泊まることができます。
レー行きのバスチケットは前日にバススタンドで購入できるので忘れずしておきましょう。
前方の席の方が遥かに良いので、できればケイロンに到着したら早めにチケットを購入しておくことを勧めします。
ケイロン散策!
ケイロンには昼の3時頃到着して、宿に居ても特にやる事がなかったので宿で出会ったイギリス人バックパッカーの2人と周辺を散策する事にしました。
しかしケイロンについて調べてみるも特に面白そうな所は見当たらなかったのですが、修道院が山の頂上付近にあるみたいなので行ってみることにしました。
とりあえず渓谷を渡る必要があるみたいなので、降って登ってを繰り返します。
天気が良いので歩いてると暑いくらいです。
橋を渡ったりと景色が変わってくれるのでなかなかいい暇つぶしになります。
一緒に散歩してくれたイギリス人の二人は今学生としてインドのプネーに住んでいるらしく、長期の休みを利用して僕と同じくパンゴンツォに行く予定との事でした。
しかも翌日のレー行きのバスも同じだったので一緒に行くことにしました。
修道院到着
彼らと話しているうちに目的地の修道院に着きました。
反対側に行ってみると
仏教感のある建物!
何か特別ということもなく、ちょっと派手で大きな家みたいな感じでした。
しかも中に入れなかったので見所は全然なかったです。
なのでちょっと休憩してから来た道を引き返しました。
朝5時ケイロンを出発
ケイロンでは昼間に散歩をした程度で、夜は宿周辺のレストランで軽めの夕食をとり早めの就寝をしました。
と言うのも、レー行きのバスがケイロンを朝5時に出発にする為、絶対に寝坊が許されないのです。
ですので特に何もすることのないケイロンでは早めの就寝をオススメします。
特に何もすることの無いケイロン、早く寝た分ちゃんと早く起きれました。
チケットも前日に購入しておいたので席も真ん中付近でした。
後方の座席になると揺れがひどくなるので、かなりキツいと思います。
夜明けと共に出発です。
レー行き550ルピーと破格の安さが移動の不安を煽ってきます。
こちらのバスもケイロン行き同様、ほぼインド人で満席でした。
果たして無事レーに到着するのでしょうか。
景色凄すぎて眠気飛ぶ!
レー行きの長距離ドライブがスタートです。
トラブル無く走ってくれると良いと思ってた矢先
なんと運転手が窓全開にして運転し始めました。
この標高が高い所でしかも早朝から窓全開です。
一瞬にして冷気がバス全体を隈なく極寒にしてくれました。
バスの中でも皆分厚いジャケットを着用して寄り添うようにして座ってます。
逆に満席で良かったです。
後で窓を開けた理由を聞いたら居眠り防止との事でした。
居眠りされて崖から落ちて死ぬ事を考えたら納得の理由ですね。
![](https://i0.wp.com/shuhiroshima.com/wp-content/uploads/2021/06/wp-16230643637214577822068081200339-300x300.png?w=60)
しばらく走っているといつの間にか雪景色となっていました。
日差しが強いので不思議とそこまで寒くないんです。
青空の中の雪山道は
”標高高い所に来てる!”
っていうのを実感しますね。
雪山道が終わればまた普通の山道を走っていきます。
これの繰り返しです。
山脈を一望する事もできます。
正直、絶景過ぎて寝る暇がないくらいです。
トラブル発生!
順調に走り始めてから9時間経った頃、突如道の真ん中でバスが止まりました。
トラブルが起きたという事はなんとなく直ぐ分かったのですが、トラブル次第ではかなりの時間立ち往生しなければいけなくなるのでちょっと焦りました。
が
原因は一目瞭然でした。
落石です。
道路に大きな石が堂々と鎮座してました。
とりあえず男性たちは石を退けるために集められました。
昼の2時、所々山には雪が残っていますが天気は日本の春のような暖かさでした。
出てきた男たちは皆、一仕事してやろうと気合が入っています。
すでに何時間も皆同じバスに揺られていたせいか、いっちょ前に団結力がありました。
かなりのサイズです。
コロコロ転がす事は不可能です。
どうするのかなと思っていたら、どこかしらから誰かが大量の鉄パイプを持って来て、テコの原理で動かし始めました。
ほんと、どこに鉄パイプがあったのか不思議です。
しかもこのテコの原理の方法が驚くほど使えるのでした。
大きな石が動く動く!
大勢の男たちのハードワークもあってか、立ち往生してから30分程でこの石を道の脇まで移動させる事ができました。
いい運動になって良かったです。
それにしても落石がバスにぶつかったりする事を考えると怖いですね。
さらなる悲劇が待ち受けていた
落石ポイントからしばらく綺麗な景色が続きます。
三角形に削られた岩がお出迎えです。
風化による侵食でしょうか。
人工的に作られたのではないかと思うほど面白く可愛い形をしています。
こんなほっこりする道も通り過ぎ4時間程が経過した頃、再びバスが道の真ん中で停車しました。
次はなんと2台の車で道を塞いでしまっています。
どうやら写真左側のトラックのタイヤがぬかるみにハマってしまったみたいです。
そして右側のトラックは通り抜けれるだろうと思い突っ込んだけど行けなかった
と言う状態です。
けど右側のトラックはどうにか抜け出せるよう頑張っている感じでしたが、左側のトラックはちょいちょい頑張ってみるもののほぼ諦めムードでレスキューが来るのを待っていました。
ガッツリ沼にハマってます。
時間も夜の7時頃になり、だんだん寒くなって来た頃ようやく右側のトラックが抜け出すことに成功しました。
これには拍手喝采!
が
ここで問題なのは僕たちが乗ってきたバスはこの通り抜けたトラックより大きかったのです。
つまり僕たちは真っ暗な寒空の中でいつ迎えに来るか分からないレスキューを待たなければならなくなりました。
けどこれだけは避けたい。
標高4,000メートルの夜を暖房のないバスの中で過ごすのは自殺行為です。
みんなも思っていた事は同じで若干ざわついています。
レスキューが早く来る事を祈ってるのですがこんな山道にすぐ来れるはずもないし、助けてくれるような車も通ってきません。
とどのつまり、バスの中で耐えるしかないのでした。
不穏な空気も流れ始め、皆のバイブスも一気に下がっています。
バスの中はもちろん冷え切っており、体も動かせないので節々も痛くなったりと最悪です。
これがあと何時間続くのかと思うと憂鬱になるのでとりあえず寝ることにしました。
疲れも溜まっていたせいか一瞬で眠りにつくことができたのですが、15分くらい経ったところで急に皆がザワザワし始めたので目が覚めてしまいました。
窮地からの脱出
皆が荷物をまとめ次々とバスから降りる準備をしています。
どうやら進展があったみたいで、隣の人に聞いてみると皆バスから移動しないといけないとの事でした。
![](https://i0.wp.com/shuhiroshima.com/wp-content/uploads/2021/06/wp-16230625929737035431259386091606-300x300.png?w=60)
外へ出てみるとすでに何人かは進路方向に向かって歩いていました。
まさかの歩いて休憩場所かどこかへ向かわなければいけない状況になったのか!?
と思ったらなんと先程道を塞いでいた僕らと同じ進路方向のトラックに乗る事になりました。
奇跡的に荷台に人が全員入れるスペースがあったので乗せてくれました。
けど普段は人じゃなく荷物を入れる場所です。
床はただの板で、捕まる所も無いのでカーブがある度に体が飛ばされます。
揺れでお尻は痛くなるし室内の温度はすごく寒いし最悪でした。
けどあのバスでいつやってくるか分からないレスキューを待ち続けるより遥かにマシなので何の文句も言えませんでした。
そしてこのトラックは僕らを最寄りのキャンプサイトに降ろして去っていきました。
どうやら僕たちはこの宿で一泊し翌朝に他のバスかトラックで目的地であるレーに行くと告げられました。
もちろん宿代は実費になりますが安いので特に問題はないです。
疲労もかなり溜まっていたので温かい物を食べてすぐに就寝しました。
トラブルは絶対発生するだろうとは思っていたものの思っていたより大きなトラブルがあって大変でした。
まぁ、命に関わるような事が起きなかったので良かったのかもしれませんが。。。
けど景色は流石の絶景の連続でした。
寝るのがもったいないくらい素晴らしかったです。
ほんと一日で良い経験、悪い経験をこの山一つで沢山味わう事ができ、一生忘れられない思い出となりました。
続きは次の記事で書くのでぜひ読んでください。
レーに着いてからのパンゴンツォでの様子について書きます。